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臍手繰り

母親を犯したいと思うのは、誰でもあることだと思っていたが、どうやら違うんだということがわかったのは中三の夏だった。 なんでそんなに気づくのが遅かったのか、自分はアホだったからだと言い聞かせて、何年になるだろうか。 そんなことはどうでもいいのだが別に、どうでもよくないと思うのはやはり、俺には、俺は、母親を知っていないんだということだったし、三十三年生きてもそれが、生きる価値を左右しているものとして在るような気がする。 俺は何故か、母親を捨てたという気で生きてきた、それはなんで。 なんで?ということを母親に問い詰められたら、問い詰められる未来が存在してたら、いいのにな。 なんてそんなこと、特に思ってない。 特殊清掃員とやくざ、どっちになろうかと思って結局、両方になりました。 三十三歳で、三十三歳で、憧れていたので、両方、に。 毎日が死にたい、ただなんとなく、苦しんでれば苦しんでるほど、お母さんは俺と再会するだろうという予感、それは本当にはっきりとした予感、それが、ひどく胃痛とともに起こって僕をなだめるのです。 毎回こうです。そんなことは、思っていない。 お酒を飲むと、こうなんです、すみません。 ギロウたんは飼ってるカメノムシに頭を下げて、そそくさとあったかい布団に入り眠りて、こけました。 俺は最近、自分でギロウたんと呼ぶことが嬉しい、でも本当は母親に義郎や、と言われる呼ばれることが嬉しいの?と俺は俺に向かって言いました。 返事は、ありませんでした。 ピーナッツの上に載って太平洋を渡り、ピーナッツを背負って知らない国を旅し、ピーナッツを抱いていつも眠るカメノムシの「ピーナッツとカメノムシ」という童話を考えて火に燃やして、眠るように死んで見たいと呟いてみて、死にました。といって寝ました。 延々と続く桟橋の先がどこにあるのだろう?という夢を見た夢という夢を捜索してる現実世界の俺という夢を見た俺を描いている俺の小説を書くのをやめた俺という夢を見ていたような見なかったような気持ちで目が覚めた。 真剣に生きるということをやめたんですよ、俺はあの日からね、お母さん。 真剣に生きるということをやめたんですよお母さん、俺はあの日からね。 あの日を俺は思い出せなかった。 でもなんとなく、生まれた日じゃなかろうかなと、すごい実感として感じることができたのです。 お母さんと別れる日より、前に、

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